SNS離れというか、引越し

どうも、阿久津(@kidney0202)です。

本日もブログを更新して参ります。

「本日も」という決まり文句ですが、もう半月ぶりですね。

去年は夏頃に腸閉塞で1週間入院をしたのですが、今月も月頭に腸閉塞で体調を崩してしまい寝込んでいました。しかし1週間入院していた去年と比較すると、3日間の自宅療養というのは大した進歩です。身体が強く健康になっているのを感じます。

話は変わり、最近は所謂SNS疲れというやつで大好きだったTwitterから離れていました。とは言え極度のSNS依存でしたから、いきなり脱却もできないので代わりに別のアプリに興じています。写真投稿系なので、見ようとしなければ特段文字もなく、写真を垂れ流すだけ……たのちい、っていう状態ですね。

誤解なきよう申し上げると、相も変わらず文章は大好きです。仕事も順調です。今月もバリバリ働き、ザクザク稼ぎ、モリモリ貯金しています。本屋で書籍や雑誌を爆買いして、乱読して、積読していますし、創作も捗っています。

だけど私くらい書くことが好きな人間は、ウェブライターをフォローするべきではなかったのかな、とも時折思います。かといって文字書きを、写真家を、絵描きをフォローすれば上手くいったというわけでもないし、結局のところ私自身の問題だったのだと思いますけどね。

広い世界を見たいと願って動いた結果、酷く矮小で、狭い場所に迷い込んでしまったようです。

それを私自身が決定的に認識したきっかけとして、以前参加した、某和菓子ライターさんが主催する「飲んだくれ会」での会話があります。そこで私は、この記事と同じようにSNS疲れについて口にしたのですが、ある女性に

「あなただって意識高いツイートをしているのに、なんで疲れるの?」

と言われました。断っておくと、別にその発言に怒りしたわけでも、呆れたわけでも悶々としたわけでもありません。その瞬間や、向こう数日は確かにそういう思いもありましたけど。でも冷静に咀嚼したら、むしろ納得できてしまったのです。

確かに私の文筆に関するツイートは、意識が高いか低いかで言えば高いです。そして彼女の言うように、SNSでは同じように意識の高いツイートをしている人や、意識高い系のツイートをしている人がゴロゴロいます。でも私に言わせればその他の意識高い、高い系ツイートは薄く、未熟で、打算的で営利目的で、崇拝目的なものに見えました。

しかし傍から見れば私と彼らに差異はなく、私の悩みは眇たるものであるという、坦々たる事実を先の一言は物語っていました。そのとき、私の中で誰かが「そんな下らないことでよく悩めますね。生きにくくないですか?」と話しかけてきたような気がしました。生きにくいのは自明の理です。時に、読者の方はこの事実に苦しくならないのでしょうか?

私は10年以上書いて、100万文字以上書いて、1000冊以上読んで、それでも自分はまだまだ未熟だと思っています。けれどそう嘆いても仕方がないからこそ、苦しくとも日々言葉を吟味し続けています。その未熟な私が見ても重みのない軽薄な、口先だけの発言があまりに多く、催す吐き気とミュートが止められません。読者の方は平気なのですか?

文章を書いて、文章でお金を貰って1年も経っていない人間が文章論を語るわけですから、それはそれは滑稽なことです。滑稽であると思わなければ理解できないほどに奇異なものであったとも言えます。一方で文章に悩み、仕事に悩み、謙虚に学ぶ姿勢を貫く人も大勢います。そういった人達の成長が気になるからこそ、まだ覗いてしまうのでしょう。

SNSを通して鬱々とする。こんなに馬鹿馬鹿しいことが他にあるでしょうか。結論として毒にしかならない、ただただ嫌われるだけの1記事でした。それでも一部の方の首を縦に振ることはできるのではなかろうかと信じ、書き綴りました。

1円にもならないその一振りが、私には尊いのです。

 

 

 

よしなに。