私を障害者と呼ばないでください

どうも、阿久津(@kidney0202)です。

 

本日もブログを更新して参ります。

と言っても今回はエッセイ風です。

詩も小説も記事もエッセイも書く。

そんなマルチなライターでいたい。

阿久津プロフェッショナルの流儀。

私の「腎生相談ブログ」は夫婦二人で運営されているものです。妻はブログのレイアウトやらプラグインやらといったカスタマイズの他にも、何記事か自分で書いた文章をアップロードしています。

ご存知の方も多いですが、それは主に腎臓関連の記事で、主に私に関する記事で、主に二人の生活についての記事です。

 

そんな妻が先日「『障害者』っていう表現、どうなんでしょうね?」と私に聞いてきました。

その言葉の真意を測りかねた私が彼女に詳しく聞いたところ

「今後ブログの運営をする上で腎臓病に関連した様々な記事を書くことになるじゃないですか。その中で『障害者』っていう言葉が出ることもあると思うんですけど、そういう表現に不快感を覚える人もいるのかなって」

そう彼女は話しました。

 

私はここまで聞いて、ようやく妻の不安を理解しました。インターネットという大海の中では、リアルとは違う人間関係が形成されます。

直接顔を合わせて話す分にはなんということのない内容でも、ひとたび画面を介した瞬間争いになる。

或いはインターネットという壁を一枚隔てたことにより、眠っていた凶暴性を解放する人間が出てくる。

そういう世界に対して、少なからず妻は恐怖と不安を抱いていたのです。

 

しかし事の本質は「障害者」と言う呼び方がどうの、というところには全くありません。

言うまでもなく私は片腎の障害者であり、これからもずっとその事実は変わりません。

私が以前から疑問に思っている「『できちゃった婚』を『授かり婚』と呼ぶことにしよう」という謎の風潮も同じです。結局妊娠を理由に結婚したことに変わりはないのです。

私が「障害者」なのか「障碍者」なのかも同じです。

呼び名や漢字が変わっても本質、事実は変えることができないのです。

 

往々にして、そういう言葉狩りに対して熱心に時間を割いているのは、健常者です。もっと言うと、暇な健常者です。

暇な人ほど、世界が忙しいということを見ようとしないものです。

 

私が持っている手帳には「障害者手帳」とはっきり書かれています。「障害者」という表現や字面に不満があるならば、戦う相手はブロガーなどの個人ではなく、もっと大元なのではないかと、私は思います。

尤も、その戦う相手も暇ではありませんから、時間の使い方を考え直すことを強くお勧めします。

 

妊婦さんに関しては存じ上げないのですが、妊娠を理由に結婚した人のうち何人が

「私たちが結婚に至った経緯を『できちゃった婚』って呼ばないで!」

と主張しているのか、少々疑問です。

嬉しそうに「きっかけはできちゃった婚なんですよ」と話す人も私は知っていますし。

「できちゃった婚」を「授かり婚」に変える運動よりも、子どもが生まれた家庭に対する補助を叫んだ方が有意義です。

 

「障害者」を「障碍者」に変える運動よりも、障害者に対してもっと優しい世界になるにはどうしたら良いかという議論の方が有意義です。

「私を障害者と呼ばないでください」……そう障害者自身が言うなら、尊重すればいいのです。

そもそも言い方を変えようと思う人は何処かでその相手を下に見ているし、何処かで差別をしています。

 

そんな優しさの皮を着せただけの悪意に付き合う時間は、私にはありません。

 

よしなに。